秀明寺について

秀明寺は真言宗智山派の寺院で山号を用明山、院号を天王院と号し、 玉川八十八ヶ所霊場第八十三番の札所であり、応長年間(1311年~1312年)、花園天皇の侍臣秀明が開基したと伝えられています。花園天皇は16歳の聖徳太子像(孝養像)を刻ませて、縁がある地に届くようにと願い、大阪湾に投じたところ、武蔵国羽田に漂着しました。発見した村人たちは堂宇に移して祀り、その後、天皇の命により秀明が太子像の行方を捜していたところ、羽田の地に至り太子像を発見し、一宇を建てて秀明寺としたといわれている。『新編武蔵風土記稿』によれば、当時の本堂は五間半四方で、京都より工匠を招き造らせたものであり、その姿は普通の堂とは異なる形状のものであったとされ、別称、太子堂と呼ばれています。また、かつては寺宝として曼陀羅があり、全ての人に財をもたらすものとして、参詣の人日々に多く、江戸の化政期頃の秀明寺の繁栄ぶりを記していました。なお、本尊である聖徳太子像は1837年(天保8年)の火災で焼失しており、現在の本尊の聖徳太子像は、嘉永年間(1848年~1855年)に仏師の石川源永が制作したものです。
真言宗とご本尊
真言宗は仏教の中でも密教といわれる宗派で、’仏さまの秘密の教えを明らかにした教え’という意味があります。お釈迦様が悟りを開かれ仏陀となられたことからはじまり、弘法大師によってこの教えが日本に伝えられ、真言宗となるのです。真言宗のご本尊は大日如来で、最高の仏格をもち、大いなる智慧と慈悲をもってすべてのものを照らす根本の仏さまです。
秀明寺のご本尊聖徳太子
聖徳太子は日本の文化と平和(国家安泰)を象徴する最大の人物であり、昔から日本国民の信仰の対象として尊崇されてきた「太子信仰」から「救世観世音菩薩」の化身としても仰がれてきました。真言宗の本尊は大日如来であることが多いですが、大日如来はがすべての考えを受け入れるため、寺院によってさまざまで、当山の本尊は弘法大師が聖徳太子の化身でもあり、共に観音菩薩の権化であるということと同じであると考えられます。令和元年には聖徳太子1400年御遠忌法要を本堂にて行いました。

真言宗智山派の
宗祖・中興祖
真言宗の宗祖は仏教の最も進化した教えとされる密教を真言宗として広めた弘法大師空海で中興の祖を興教大師覚鑁を尊崇します。



